次世代航空機であるB787ドリームライナーの初号機が予定より3年遅れでやっとANAに納入されたようです。
***** 以下 転載部 *****
全日空がボーイングの新型機「787」1号機を受領、3年遅れで
ロイター 9月26日(月)9時55分配信
[シアトル 25日 ロイター] 全日本空輸(ANA)<9202.T>は25日、同地にある米ボーイング<BA.N>の工場で、同社の最新鋭中型旅客機「787」(ドリームライナー)1号機の引き渡しを受けた。
同機の日本の顧客への引き渡しは初めて。ANAへの納入は当初予定よりも3年以上遅れたため、ボーイングには多額のコストがかさんだ。
ANAの藤木悟・米州室長兼ニューヨーク支店長は記者団に対し、ボーイングが生産目標を達成し、残りのドリームライナー全機を予定通りに納入できると信じていると表明。
同氏は、ドリームライナーを毎月10機製造するというボーイングの目標達成に対する自信の程度を聞かれると、「われわれは今回、ボーイングがスケジュール通りに納入できると確信している」と答えた。
また、「われわれは787が良いパフォーマンスを見せると信じている」と語った。
ANAは2017年末までに、発注したドリームライナー55機すべての受領を見込んでいる。
***** 以上 転載部 *****
開発が遅れに遅れたこのB787、この機材の導入を前提に路線や合理化計画を練ってきた航空会社が多くローンチカスタマーであるANAに限らず航空各社待望の新型機がやっと運用できる状態に!
これからボーイングは月産10機を目指して遅れを回復すると言うことですので、B777の様にこれから一気に世界中の空を席巻するのだと思います。
また、同時にANAは本年3月31日現在64機運用中のB767のリプレイスに使われると思われ、来年以降急速にB767が退役して行く機体が多くなるものであると思われます。
ワイドボディ機で初のFE(航空機関士)抜きのツーマンクルーを実現しハイテク機の先陣を切った形のB767ですが、初飛行は昭和56年と気付けば既に30年を経過しており、今の技術からすれば必ずしもハイテク機とは言い切れないかなと(^^ゞ
と言う意味では、B787の初号機引き渡しは、旅客機のさらなる近代化を進め空の安全を更に向上してくれることを期待したいと思います。
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全日空がボーイングの新型機「787」1号機を受領、3年遅れで
ロイター 9月26日(月)9時55分配信
[シアトル 25日 ロイター] 全日本空輸(ANA)<9202.T>は25日、同地にある米ボーイング<BA.N>の工場で、同社の最新鋭中型旅客機「787」(ドリームライナー)1号機の引き渡しを受けた。
同機の日本の顧客への引き渡しは初めて。ANAへの納入は当初予定よりも3年以上遅れたため、ボーイングには多額のコストがかさんだ。
ANAの藤木悟・米州室長兼ニューヨーク支店長は記者団に対し、ボーイングが生産目標を達成し、残りのドリームライナー全機を予定通りに納入できると信じていると表明。
同氏は、ドリームライナーを毎月10機製造するというボーイングの目標達成に対する自信の程度を聞かれると、「われわれは今回、ボーイングがスケジュール通りに納入できると確信している」と答えた。
また、「われわれは787が良いパフォーマンスを見せると信じている」と語った。
ANAは2017年末までに、発注したドリームライナー55機すべての受領を見込んでいる。
開発が遅れに遅れたこのB787、この機材の導入を前提に路線や合理化計画を練ってきた航空会社が多くローンチカスタマーであるANAに限らず航空各社待望の新型機がやっと運用できる状態に!
これからボーイングは月産10機を目指して遅れを回復すると言うことですので、B777の様にこれから一気に世界中の空を席巻するのだと思います。
また、同時にANAは本年3月31日現在64機運用中のB767のリプレイスに使われると思われ、来年以降急速にB767が退役して行く機体が多くなるものであると思われます。
ワイドボディ機で初のFE(航空機関士)抜きのツーマンクルーを実現しハイテク機の先陣を切った形のB767ですが、初飛行は昭和56年と気付けば既に30年を経過しており、今の技術からすれば必ずしもハイテク機とは言い切れないかなと(^^ゞ
と言う意味では、B787の初号機引き渡しは、旅客機のさらなる近代化を進め空の安全を更に向上してくれることを期待したいと思います。
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その767も既に30年ですか!
父の時代は、正副操縦士、航空機関士、通信士と4人乗組だったのですがね。
中華航空は、終戦と共に終わりましたが、乗務員の一部は日航へ移りました。
よど号事件の時の交代要員とされた増子操縦士や解放された人質を日本へ運んだ高崎操縦士、また全日空の第一号操縦士となった神田操縦士も元中華航空の方々です。(父の同僚又は後輩)
昭和40年代には、敵弾が時には機体を貫く中を自害用拳銃を携えながら敵地上を飛ばした強者が、まだまだ現役で操縦していたのですが、乗客の殆どはそんな思いもなく利用していたのです。
尚、平壌に降りたよど号B727は、エンジンのスターターが現地には無く、航空機関士が工夫を重ねてエンジンを起動させ、日本へ帰りました。
余談/父談「増子かぁ、日航も一番冷静な男を乗っ取り機の交代要員に選んだなぁ。何よりも乗っ取られたのが高崎操縦の飛行機でなくてよかった。一緒に墜ちようぢゃないかとやりかねないからなぁ。」